
ヨヴィタ・コンツェヴィチ (1935年生) はポーランド初のプログラマーの一人であり、SAKO言語の共同開発者。「非常に興味深かった。ポーランドでは他に誰もそのようなことを手がけていなかった。」と語った。1956年、数学装置グループ(GAM)に参加し、ポーランド初のコンピュータ開発に携わった。FORTRANを基にしたSAKOをXYZ機やZAM-2機向けに開発し、ALGOLをポーランドのシステム向けに適応した。冷戦下、欧米と西ヨーロッパからの技術資料が不足する中、独自の工夫で業務を進めた。試行錯誤で深夜までコードを調整し続ける情熱的なプログラマーだった。1978年、ポーランドの電子技術研究所へ移り、その後プログラミング関連書籍の翻訳を手がけた。彼女の業績はポーランドのIT発展の礎となり、将来のIT専門家の道を切り開いた。